清志のギター
4男 清志(12歳)が決して立派なギターリストの素質を備えているわけでもないし、又かって1回のリサイタルを開いたわけでもありませんので、従ってこの拙文は10歳の時から極めて自然にギターを始めた少年が、どんな状態でギターに親しみかつ愛好するようになったかという道程を皆様に御読み戴いて、ギターの友社よりの責を果そうと存じます。
[環境]
私の家では長男も次男もそして私もギターを弾いております。
然し長男は20歳頃から、次男は18歳頃から、かく申す私も19歳から弾き始めたのです。
従って四男清志は小さいときからギターを聞いていたことになります。
[ 発端 ]
31年(1956年)の12月、清志が9歳の或る夜、私が弾いている側で清志はいつになくヂッとギターをみつめその音を聞いていました。
家内も傍にいて何かやっていました。
ギターをみつめている清志の顔を見た時、私は言ったのです。
『ギターを弾いてみるか?」すると清志は極めて自然に「うん」と笑ってうなづいたのです。
幸い拙宅には峰沢泰三さんとその御厳父宮蔵さん(もう八十何歳位)合作のラコート型ギターがあったので、これを持たせて、ドレ、ミ、ファと音を出させてみると案外スラスラとその場で覚え込んでしまいました。
「これはいける!」と私逹は一種の興味を覚えたのです。その晩清志が寝てから私は家内に清志にギターを教えようかと相談すると家内は直ちに賛成してくれました。
[ 楽器 ]
ラコートでもやはり清志にはまだ少し大き過ぎるような気がしましたので、早速翌日名古屋の加納実さんのところに電話して、子供用ギターの有無を御問合せしたところ、児童用ギターとして大量生産したものがあるから取り寄せておきましようとのことでした。
明けて32年1月名古屋に所用のあった家内と一緒に出かけて、加納さんから児童用ギターを入手しました。1700円だったと思います。
[ 教科書 ]
カルカッシではとても固過ぎると思われましたから、早大時分の長友小原安正氏に事情を書いて適当な教科害を問い合せたところ、早速同氏の著になる本を送ってくれました。
春の小川や蝶々等を要所に入れて全く子供にはおあつらい向きの本でしたので、清志は気楽に次々と頁を征服してゆきました。
[ 練習 ]
当初の間は「興味をもつように」「面白味をいだかせるように」と考えて弾かせていましたが、半年を経た頃から一寸固いかなと思われる練習曲を厭からずにやるようになってきました。
けれども何しろ子供のことですからやれ千葉が、大下が、青田がホームランを何本打ったと兄達と話し合っている時に友逹が野球やろうか等といってくると、ギターなんか放り出して暗くなるまで野球をやってくるのです。
それで夜分、指定しておいた曲を弾かせてみると弾けてない時など、私に熱が入っているものだから、遂何度も何度も弾かせていると、清志の顔の形が俄かに変ってきてボロボロと頬に大粒の涙がつたわるのです。
「しまった」と思っても、もうおそいのです。
こんな時私はお母さん洗面器を持ってきて」というのです。
(雨を洗面器に受ける意)すると清志は「くす!」と泣き笑いして鼻をこすり、頬ぺたをなぜて、又弾き続けます。
然しどうしても泣き止めないと思った時は直ちに弾くのを止めさせて「よく弾いた又やろう、さあしまって、しまって」と頭を撫ぜてやると、忽ち元気が出て楽器を納うと、とたんににこにこしている時もありました。
そんなときもう厭になって弾かないのかなと思うのですが、一向そんな様子もなく気前よく練習をするのです。きっと泣くときは弾けぬときなのです。
夏は学校へ行く前30分を練習時間にあてました。
一曲を完全にマスターしないうちは次の曲に移らない方針をとっています。
この年11月に前記小原氏の本を終了しましたので、京本輔矩氏の「ギター基礎技巧」の内のアルペヂオ及びスケール応用のもの各一曲宛、それからセゴビアのスケールを一曲宛入念に仕上げさせています。
カルカッシは左手の運指の指定が欠けていますのでやりません。
第2年目の昨年始めからは前記の外音楽的に最も高く然も親しみ安いと思われますのでソルの曲を一曲宛、それからセゴビア運指のソルの二十五の練習曲を一曲宛加えています。
スケールは20分以上、その他のものは15分宛、それでも合計すると1時間半乃至2時間になります。
これは現在毎日やっています。
[ 他からの刺激 ]
練習を始めてから間もない頃、大野亮子さんのピアノ日誌を家内が清志に読んできかせていました幼児から音楽をやるにはどんな風にやったらいいかということが親子共々勉強になりました。